透き通るような癒しの時(小説編)
小説に美を求めてはいけないのだろうか?小説に知見を求めてはいけないのだろうか?そして、小説に人生の儚さを求めてはいけないのだろうか?
そんな疑問にズバリ答えるくれる小説の一つに深良マユミの作品がある。
叡智と耽美な世界を見せてくれるその小説は、私たちへのこの世の捉え方をあらゆる視点から与えてくれる感がある。人生の生き方に対するある一つの見方を示してくれるのである。
それは、小説を通して訴えてくる深良マユミの作品の永遠の美への追求、生と死への深い考察、そしてさまざまな登場人物の個性の強さ。どれも魅了される作品たちばかりであって、読者を飽きさせることがない。まさに文章の錬金術師のようである。
そのような、作家として活動をしている深良マユミだが、過去にエッセイなども書いているようだ。その中の一つ、「尽きせぬ思い ショスタコーヴィチと私」(雑誌「クラシックジャーナル」に掲載された)は、彼女の今までの生きてきた経験と同調しているのかもしれない。社会主義体制に対抗的だったショスタコーヴィチは、自分の作曲した音楽によって、民衆にその理由の同意を暗黙的に求めていたのかもしれない。深良マユミの作品も、そのように、今の社会での単調な繰り返しの習性に、新たな革命をもたらしてくれているようでもある。彼女の作品は、そのように、読み手を飽きさせず、また、今まで感じ取れなかった視点を見出させてくれる。今のありきたりな社会に新風を巻き起こす革命。まさにショスタコーヴィチが手掛けた作品のようである。私も、その新風を自分の新たな糧として、その読者の一人として、深良マユミの作品たちに向かい合って話していきたいと思っている。自分の美的センス、知見のセンス、独創的なセンス、そして人生観をその作品から糧として得たいと思う。
(今回の日記の内容は、mixi、ブログ人と共通です)
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